小学3年生の娘の異変に気づいたのは、ある日曜日の午後、家族でリビングでくつろいでいた時のことでした。ふと娘の頭頂部を見ると、髪の分け目が不自然に広がっており、そこだけ毛が薄くなっているのが目に入りました。最初は「円形脱毛症かな」と心配になり、娘に尋ねてみましたが、彼女は気まずそうに目を逸らすだけでした。その後、掃除機をかけるたびに、娘の勉強机の周りにだけ異常な量の髪の毛が落ちていることに気づき、私の背筋に冷たいものが走りました。彼女は自分で抜いていたのです。その事実に直面した瞬間、私は激しいショックと、育て方が悪かったのではないかという自分への不信感に苛まれました。翌日、すぐに皮膚科を受診しましたが、そこでの診断はやはり「抜毛症」でした。先生からは「お母さん、絶対に叱らないでください。これは本人の心が悲鳴を上げている証拠なんですよ」と優しく諭されました。その日から、私と娘の長く、、忍耐を必要とする日々が始まりました。私はまず、自分の生活を振り返りました。仕事の忙しさを理由に娘の話を上の空で聞いていなかったか、テストの点数ばかりを気にさせていなかったか。反省すべき点は山ほどありました。私は娘を責める代わりに、彼女と向き合う時間を1日30分だけ、意識的に作るようにしました。内容は他愛もないおしゃべりや、一緒にお菓子を作ることなどです。また、娘が宿題をしている最中に無意識に手が頭へ行くのを見つけたときは、「やめなさい」と言う代わりに、「お茶にしようか」と声をかけ、手の動きを自然に逸らすように努めました。彼女の手持ち無沙汰を解消するために、スクイーズという柔らかいおもちゃをいくつか買い与えたところ、勉強中はそれを左手で握るようになり、少しずつ髪を抜く回数が減っていきました。しかし、回復は一直線ではありませんでした。運動会の練習が始まった時期や、友人とのトラブルがあった時には、せっかく生えてきた毛が再び抜かれてしまい、私は何度も暗い気持ちになりました。そんな時、支えになったのは児童精神科のカウンセラーの方の言葉でした。「3歩進んで2歩下がるのが当たり前。抜いたことをリセットするのではなく、抜かなかった時間を褒めてあげましょう」と。この言葉で、私は完璧主義を捨てることができました。診断から1年半が経過した今、娘の頭には再び豊かな髪が戻っています。完全に癖が消えたわけではありませんが、彼女は「今、抜きたくなっちゃった」と自分の気持ちを正直に言葉にできるようになりました。抜毛症という経験は、私たち親子にとって、言葉以上に深いコミュニケーションを学ぶための、痛みを伴うけれど大切な試練だったのだと今は感じています。同じ悩みを抱えるお母さんたちに伝えたいのは、あなたは一人ではないということ、そして子供の回復力を信じて待つ時間が、いつか必ず実を結ぶということです。
娘が自分の髪を抜いていることに気づいたあの日から始まった回復の記録