今思い返せば、あの時の私は自分の体力を過信しすぎていました。30代後半という、仕事で最も責任あるポジションを任され始めた時期、私の身体には明らかな異変が起きていました。最初は喉のイガイガ感と、夕方になると少し体が熱くなる程度の違和感でした。熱を測っても37度2分。会社を休むほどではないと判断し、栄養ドリンクを飲んで深夜までパソコンに向かう日々を続けていました。しかし、1週間が過ぎ、2週間が経過しても、その微熱と咳が続く状態は一向に治まりませんでした。むしろ咳は夜になるほど激しさを増し、横になると胸の奥がムズムズして眠れない夜が続くようになりました。それでも私は「風邪の治りかけは長いものだ」と自分に言い聞かせ、市販の咳止め薬を服用しながら無理を重ねていたのです。ついに異変が決定的になったのは、最寄り駅から自宅までのわずかな坂道で、息が切れて立ち止まってしまったときです。平熱に近い温度に騙されていましたが、私の肺の中では着々と炎症が進行していました。翌日、這うようにして受診した病院で撮影したレントゲン写真には、私の肺の片側が霧がかかったように真っ白に写っていました。診断は、長引く不摂生とストレスが引き金となった非定型肺炎でした。即座に入院を勧められましたが、仕事の調整に奔走する私を、医師は厳しい表情で諭しました。「熱がないから大丈夫というのは、大人の最大の誤解です。あなたの身体は警報を鳴らすエネルギーさえ枯渇していたのですよ」と。結局、私は2週間の休職を余儀なくされ、職場に多大な迷惑をかけることになりました。もし最初の1週間の時点で受診していれば、飲み薬だけで短期間に治っていたはずです。微熱と咳が続くというサインを無視した代償は、あまりにも大きなものでした。この経験以来、私は自分の平熱を正確に把握し、咳が3日続いたら生活のペースを落とすようにしています。大人の責任とは、無理をして働き続けることではなく、自分の異変にいち早く気づき、適切に自分をメンテナンスすることなのだと、白くなった肺の画像を見るたびに痛感しています。