本事例は、小学校4年生の男児A君のケースです。A君は中学受験の塾に通い始めた頃から、無意識に眉毛を抜くようになり、数ヶ月後には眉毛がほぼ消失し、まつ毛にも影響が出始めました。両親は当初、厳しい注意を繰り返しましたが改善せず、学校で友達から指摘されることを恐れたA君が不登校気味になったことで、当院を受診されました。A君へのアプローチとして採用されたのは、認知行動療法を基盤とした「習慣逆転法」と、家族全体のコミュニケーション改善です。まず、A君自身に「抜きたくなる瞬間」のセルフモニタリングを行ってもらいました。彼の場合、塾の難しい問題を解いている時と、夜寝る前にベッドの中でスマートフォンを見ている時が、最もリスクが高いことが判明しました。そこで、「対抗反応」として、抜きたくなった瞬間に両手を膝の上に置いてグーを握る、あるいは柔らかいボールを強く握るという代替行動を導入しました。この訓練において、家族の役割は「監視役」ではなく「応援団」に徹することでした。お母さんは、A君が髪や眉に手をやっていない時間を「よく頑張っているね」と肯定的にフィードバックし、たとえ抜いてしまったとしても、「今日は大変なことがあったんだね」と、その背景にある感情を拾い上げるようにしました。また、ご両親は塾の宿題の量を調整し、A君が「こなせなくてパニックになる」状況を物理的に減らしました。さらに、夜間の抜毛を防ぐために、指先に感覚を遮断するような薄い布製の指サックをはめて寝るという物理的な工夫も取り入れました。治療開始から3ヶ月、A君の眉毛はまばらに生え始め、半年後には見た目では全く分からないほどに回復しました。この事例の成功の鍵は、3点あります。1点目は、抜毛を「悪い癖」ではなく「トレーニングが必要な課題」としてA君自身が捉えられたこと。2点目は、家族が叱るのをやめ、成功を共有する姿勢に転換したこと。3点目は、ストレスの元となる環境そのものにメスを入れたことです。A君は現在、中学受験を継続していますが、以前のような強迫的な抜毛は見られません。彼は「抜きたくなったら、まず深呼吸をしてボールを握れば大丈夫」という自分なりのコントロール術を身につけました。これは単なる抜毛症の克服にとどまらず、将来、人生の困難に直面した際のストレスコーピング(対処法)を学んだ貴重なプロセスとなりました。子供の抜毛症は、家族がチームとなって取り組むことで、必ず道が開ける疾患です。A君の笑顔が戻ったことは、正しい知識と方法論、そして家族の深い理解がいかに重要かを物語っています。