あの頃の私は、まさに戦場にいる兵士のようでした。新規プロジェクトのリーダーに抜擢され、期待とプレッシャーで押しつぶされそうな毎日。連日の残業は当たり前で、終電で帰宅しては数時間だけ仮眠をとり、また始発で会社へ向かう。食事はデスクで食べるコンビニ弁当が続き、休日も返上で仕事に没頭していました。そんな生活が二ヶ月ほど続いたある朝、右のまぶたに鈍い痛みと重さを感じました。鏡を見ると、まつげの生え際が赤く腫れています。「寝不足かな」と軽く考えていたのですが、翌日にはさらに腫れがひどくなり、ズキズキとした痛みが主張し始めました。典型的なものもらいでした。市販の目薬でごまかしながら仕事を続けましたが、一週間経っても治る気配がありません。それどころか、治りかけたかと思うと、今度は左のまぶたに新たな腫れが出現。まるでモグラたたきのように、次から次へとまぶたが悲鳴をあげ始めたのです。さすがにこれはおかしいと感じ、私は重い体を引きずって眼科の門を叩きました。ひと通り診察を終えた医師は、私の疲れ切った顔を見て、静かにこう言いました。「お仕事、大変なんですね。ストレスや過労で体の抵抗力が落ちると、こういうことはよく起きるんですよ」。その一言が、私の心に深く突き刺さりました。私は病気の原因を、汚れた手で目をこすったからだとか、運が悪かったからだとか、外的な要因に求めていました。しかし、本当の原因は、自分自身が作り出した過酷な環境にあったのです。まぶたの腫れは、私の体が発した限界のサインでした。その日を境に、私は自分の働き方を見直すことを決意しました。勇気を出してチームメンバーに協力を仰ぎ、無駄な作業を徹底的に洗い出して効率化を図りました。少しずつですが、定時に帰れる日も増え、温かいお風呂に浸かり、きちんとベッドで眠る時間を取り戻しました。すると、あれほどしつこかったものもらいが、嘘のようにできなくなったのです。まぶたの小さな炎症は、私の人生における大きな転換点となりました。
激務と戦う私のまぶたが悲鳴をあげた話